2023/03/10 18:32


こんばんは。

doors general store です。



今晩は、物に対する

日本人の感性について

話してみたいと思います。



早速ですが昔から

日本に伝わる感覚の一つとして

「空虚であるほど豊かだ」

という感覚があり、

今回はその部分について

少し書いていこうと思います。



早々の難しい言葉選びに

頭がイタいですが、

空虚=空っぽで、

空っぽであるほど、

他のイマジネーションを

受け入れる余白が多いことから



「空虚であるほど豊かだ」

ということのようです。



この「空虚」という感覚は、

日本の仏道や禅から

きていることもあり、

日本の侘び寂びにもつながる話。



侘び寂びで言うと、

千利休が障子と畳しかない

四畳半の質素な茶室で

わび茶を行い、

豊かな想像力を育んだのも

禅の思想を汲んだものですね。



つまり、

空虚であることは

無限の可能性をも許容する

受け皿であること

だと言えます。



身の廻りで例えるなら車。

ヨーロッパのスポーツカーが

走ることに特化した

流線型の形状に対し、



日本の軽自動車は、

空気抵抗をまるで無視した

真四角のボディ、

その代わりにコンパクトで

最大限の車内空間を

実現しています。



ここで先ほどの

「空虚であることは

どんな使い方も許容する

受け皿であること」



を(無理やり?)当てはめてみると

車というものが移動手段だけでなく

他の用途の可能性も含んだものだという

デザインの意図が自然に解釈できて、



空虚ではないにしても
「どんな使い方も許容する」

という点では

なるほど日本らしい、

と感じることができます。



もう少しまとめて

車の例から対比してみると

こんな感じでしょうか。



西洋:無駄を削ぎ落として

手段としての究極体を求める


東洋:手段を固定して

特化するのではなく、

あらゆる可能性の内包を目指す。



あえて僕らが

日本的デザイン思考や

感性に誇りを持つとすれば、



それが物やファッション

ライフスタイルと向き合うことに

すり替わった時に



物であればどういう使い方、

どういう楽しみ方ができるか、

ファッションであれば、

どう着ることができるか

どう合わせられるか、



空っぽの状態から考える時間が

ぐっと暮らしを豊かにする

かもしれません。



建築やアートでも通ずるように

何かを作り上げる時には

必ず通過する考えかもしれないと

思いながら今回はこの辺で。



ありがとうございました〜🛖