2024/06/24 20:20



最近ワインカルチャーの隆盛にまつわる大変面白い話から色々繋がる話を知ったので、ここに記録しておきつつ、なんとか着地できるよう綴っていく。

 

ワインカルチャーの隆盛は1960年代以降、農業の分野でもテクノロジーが進歩したことから始まる。


畑の人工的なコントロールが可能になり、ブドウの大量生産ができるようになったのだ。


そうすると、ワインの流通量が単純に増え、一般的に好まれるフレーバーのマーケティングが進む。


そして、それが軸となって大量生産され、ワインの格付けが進むという流れだという。(ここで、一部日の当たらないローカルが淘汰され始める)

 

当時の時代背景も加速して、物質的豊かさが求められることによる、価値・価格の高い物を嗜むという分かりやすいステータスとしての娯楽の面が強くなる。


このようにして、"有名なもの=高いもの=素晴らしい"というツマラナイ流れが完全にできあがり、この面だけを見ると娯楽としてのフラットな幅は効かなくなる。

※自らメインストリームから外れないと無名でも質の高いワインは探せない

 

これは別の分野、音楽・ファッション・アート、アウトドアライフ、、、

どのモデルについても当てはまると思う。ブームやコンテンツの隆盛にはやはり資本主義がつきものなのである。


そうするとワインの例の如く受け手が受動的だと選択肢の自由が効かなくなり、分かりやすいヒエラルキーからもれたマイノリティが埋もれてしまうのだ。


これらの流れに興醒めしない為には、あくまでローカルなトライアンドエラーで自分の軸を信じること、もしくはコンテンツ自体まるごと愛するほかないと思う。僕は前者は難しいと思うので、後者をオススメする。


つまるところ、所詮娯楽なのであって、純粋に楽しむという軸で考えれば、知識、ステータスは不要。楽しむための手段でしかない。


いわば、コンテンツを通した資本主義、物質主義への反旗であり、この捉え方はカウンターカルチャーと重なる。


僕もつい分かりやすいものに手を伸ばしがちだが、天邪鬼は天邪鬼で視野が狭くなってしまいつまらないので、好きなものにおいてはまさにコンテンツ自体丸ごと愛せるようになりたいものである。。。


今回はこの辺で、無理やり着地したいと思う🛬